「晋」は人口が多く、耕地が少ない。そのため、山西省の人は、商いにいそしんだ。いわゆる「晋商」(日本の「近江商人」のような受け取られ方)だ。はじめは国内外で特産物の売買などをしていたが、18世紀中頃からは中国金融業の中心地として栄えた。今の銀行のような役目の「票号」も作られ、大金持ちを何人も輩出した。
「票号」については、平遥古城の記録にも出て来る予定。
太原と平遙古城の間にある「喬家大院」(乔家大院)。ここは晋商の大邸宅だ。今は観光地になっている。
入り口の脇に、切符売り場がある。60歳か65歳か忘れたけど、パスポートを見せたら「0」、ただになった。
とにかく大きい。中庭が六ケ所、部屋の数は200以上!自分がどこにいるのか、分からなくなる。これが、一商人の家。
商人だけに、そろばんは大切。いろいろな算盤が飾られている。
客間とか寝室。日本語やハングルも書いてある。意味不明の写真もあるなあ。
日本から、わざわざ行くことはないと思うが、平遥古城のついでに、行く価値はあると思う。平遙からバスも出ているが、中国はタクシーも安い。
私は太原から晋祠経由でタクシーを使い、ここから平遥までは別のタクシーに乗りました。
喬家大院の周りは、たぶん他に見るものがない。左下の緑の旗が平遥。
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