紅葉村は台東県にある原住民プヌン族が住む500人くらいの村で、村を過ぎると、もう人里はない。この小さな村の少年たちが、台湾の英雄になった。
昨年9月、ずいぶん前から考えていた「紅葉少棒紀年館」に行く機会が訪れた。台北からタロコ号に乗って3時間半、台東駅に着いた。台東からは区間車で「鹿野」に戻り、タクシーでプヌン族の民宿に向かった。一度駅舎を出たため、鹿野までの切符を買い直した。敬老票😁
実は、ここに一泊したら、翌日は少年野球館だけ見学して、台東から離島の蘭嶼島に向かう予定だった。恐れていた台風の影響で、フェリーが欠航してしまった。その分、鹿野をゆっくりと楽しめる事にはなった。
民宿では、民族衣装を作っていた。奥に宿泊施設。
さて、紅葉少年隊だ。紅葉国小の隣に記念館ができており、当時の練習用具や、新聞記事が飾られている。こんな山奥に、どうやって強豪チームが出現したか、劣悪環境での少年たちの努力をうかがい知る事ができる。
1967年、リトルリーグ世界選手権で、日本の西東京チームが優勝、世界一になった。そして68年には和歌山チームも世界一になった。
この世界一の和歌山チームを台北に迎えて対戦したのが紅葉少年野球隊。結果は、7ー0。このニュースは台湾中を熱狂させ、少年野球は台湾中の注目を集めるようになり、小さな紅葉村は、誰もが知る野球の聖地になった。
そして翌69年、後に中日ドラゴンズで大活躍した郭源治を擁する金龍隊が初の世界一になった。
この後、台湾のリトルリーグは全盛期を迎え、30年間で17回も世界一になっている。
写真が多くなって、すみません。
ここに来て、紅葉国小(小学校)は、また少し強くなってきている。小学校なのに寮が出来、野球好きの原住民の子たちが各地から集まるようになった。
㊤練習グラウンド㊦南アジア大会で優勝した。